30代、ギャンブル依存症が書くブログ

20代で多くのものを失った。30代では全てを失う気がする。

ギャンブル依存症の威力とは(私の守られないミッションステートメント)

私は曲がりなりにも自分のミッションというものを作っていて、これを手帳等に毎年転記したり、あるいは修正したりしています。「ミッションステートメント」といいます。簡単にいえば、自分が生きていく上でのルールなのですが、自己分析や自己反省をした上で作っているため、自分の中では大切なものとして存在しています。

 

ミッションステートメントを作ったキッカケは、大学生時代にたまたま手に取った「7つの習慣」という本を読んだ事です。私はこの本を何度も何度も読んでいて、ぼろぼろになってもう一度購入するくらいに読み込んでいます。ジャンルでいえばおそらく「自己啓発本」という括りになるかと思います。でも私は自己啓発本が嫌いで、それを薦められてもほとんど読む事がありません。小手先のテクニックが永遠と羅列されているような本が多い印象で、簡単な言葉で、こういう時はこうするのが良いだとか、こうやって生活をしていけばよいとか、立派なことばかり書いている印象で、私にはまるで説得力を感じる事ができないのです。しかしこの本は違っていました。人間という存在、あるいは社会生活やコミュニケーションの本質を付いていていると感じていて、深く納得させられる事が多いのです。そういうわけで、何か転機や出来事があるたびに読みなおしたり、この本を参考に作った「ミッションステートメント」を読み直したりしているわけです。

 

そしてこのミッションステートメントと相反するものが、残念なことに「ギャンブル依存」です。この本には「無意味な習慣とは、真の価値とは相いれないものだ」という言葉がありますが、まさにこれが私の「ギャンブル依存」にストレートに突き刺さります。欲求に打ち負かされる毎日です。

そういうわけで、「ギャンブル依存」によって私のミッションもことごとく打ち砕かれています。でも、少し私のミッションと私のギャンブルを照らし合わせて書いてみます。何も成し遂げられておらず恥ずかしいですが、軽いギャグだと思って読んで頂ければ幸いです。

 

1.自分自身や他人に対して嘘をつかないように生きていこう。「自分の価値観に誠実に生きていく事が、自尊心の源」である事を意識しよう。

→自分の価値観から言えば、ギャンブルなど不要なもので、むしろ不幸になるものであることで、やる必要性がない。もっと人を大事にしたいし、自分の人生にとって大事なものはギャンブル以外のところに沢山転がっているのに、なぜ自分は拾えないのかとすら思う。でも、そんな自分自身に嘘をついてまでギャンブルをする。家族に対しても嘘をつきギャンブルをする。悪い事だと分かっていながらも、ギャンブルをする。この呪縛から解放されない限りは自尊心の源など沸いて出てこないだろう。

 

2.気分や感情にはなるべく左右されず、一喜一憂しないでおこう。心理面に影響を与えられたときは、「反応的」にならず、必ずこのミッションに立ち返ろう。

→ギャンブルは一喜一憂そのものだ。ギャンブルに縛られているとき、心理面に大きな影響を与えられていることを実感する。勝てば気分が良くなり、負ければ腹が立つ。つまり、私はギャンブルに動かされる反応的な生活を送っている。負ければミッションなんて読む気にもならず、ただただ落ち込むだけだ。

 

3.自分に課した事は、どんなに小さい事でも必ず実行していこう。取り組む「姿勢」が大事なことを意識して、なるべく「決めた」「決断する」という言葉を選び、なるべく素早く実行していこう。

→小さな決め事は日常的にあるもの。例えば今日は掃除をしよう、というのも一つの決断だけれど、資金と時間があればギャンブルをしてしまう。ギャンブルによって私の姿勢は常に乱れた状態にある。何かを決めてもギャンブルの前では無力に感じる事が多い。

 

4.祖先の事を考える時間を作ろう。自分がいるありがたみやすばらしさを感じながら、家族を大事にしていこう。

→私には大事な祖母がいる。普段はそれなりに気遣いが出来ているが、大事な誕生日やイベントの時、ごはんをご馳走したり何かをプレゼントしたりする資金が無い。いや、資金が多少あれどもそれはギャンブルに回ってしまう。前もって計画すればよいのに出てきていない。

 

5.「理解してから理解される」を心がけよう。「豊かさマインド」を持って、人が話す内容に集中しよう。でも、それを行うには強い精神力がいる事も意識していこう。

*少し解説。「理解してから理解される」というのは、簡単に言えば自己主張をする前に、人の話をよく聞いていこうという事です。自分が間違っていないんだという強い意志があるとき、人間は理解される事をどうしても優先にしてしまい、相手の話を遮ってしまう事もあります。ですが、まずは答えようとして相手の話を聞くのではなく、相手が言っている言葉の内容に集中していこうという事です。これが相手の事を「理解する」という行動であって、私を「理解される」のはその次のステップです。例えば相手をいじって笑いになるのは、相手を理解し、そして相手にも理解されているからです。それがないと言葉の暴力です。

「豊かさマインド」は、この世の中には全員の人に行きわたるパイがあるのだと考える事です。豊さマインドがないと、相手の話に集中できません。

 

→ギャンブルをしている限り、金銭的または精神的な余裕がない状態に陥るため、自分自身が不安定になりがちで、平然を装っているつもりでも人の話に集中できなくなってしまう。また、豊かさマインドとギャンブルとは正反対の存在で、ギャンブルそのものが少ないパイをみんなで奪い合う、という性質を持っている。大当たりしている他人を見て、早く終わればいいのに、不幸になればいいのに、なんで俺だけ当たらないんだ、と考える事が多い。必然的に自尊心も低下する。

 

以上、私のいくつかのミッション、そして、ギャンブル依存の私がいかに何も成し遂げられていないかを書いてみました。(ここまでくるとギャグですね。)

冷静かつギャンブルの事を考えていないときは、私はミッションを読み返し、「こうしていこう、こうあるべきだ、」という小さな決意をします。でも、ギャンブル行動によってそれはすぐに打ち砕かれ、そしてしばらくはお休みしたのち、そしてまたミッションに立ち返る、そしてまたギャンブルによって打ち砕かれる・・・今の今まで、それの繰り返しを行ってきたような気がします。おそらくこうしたミッションは人からみれば簡単にできる事かもしれませんが、ギャンブルに縛られている私からすれば大きな壁が沢山あるのでしょう。でも曲がりなりにも策定したミッションなので、立ち返ることは忘れないように、と一応継続して持つようにしています。

 

前述しましたがこの本には、

「無意味な習慣とは、真の価値とは相いれないもの」

と記述があります。心に響く言葉だと思います。何をすれば成功していくのか、というよりも、どう過ごせば失敗を減らせるのか、という考え方に近いかもしれません。私はギャンブル行動という無意味な習慣を継続し続けていますが、単にギャンブルをしている時間のみが無意味になるわけではなく、それ以外の時間も無意味に過ごすことになっています。このままいけば、小さな失敗を積み重ねることで、私の人生は失敗に終わるのだろうと思います。頭の中が冷静なときは、こう考えて何とか軌道修正しようと自分に働きかけているのですけどね。

 

というわけで今回は、私が打ち立てたミッション、そしていかに私がそれを成し遂げられていないのかを書いてみました。お恥ずかしいですが、お読みいただき感謝です。ありがとうございました。