30代、ギャンブル依存症が書くブログ

20代で多くのものを失った。30代では全てを失う気がする。

「どんな時にギャンブルをしたいと思いますか?」という質問。

gamble0601.hatenablog.com

 

数か月前、人生で初めて精神科医を受診した時、「どんな時にギャンブルをしたいと思いますか?」という質問を先生から投げかけられました。この質問は、依存症用語で「トリガー(引き金)」と呼ばれるものを探る質問だと思います。シンプルな質問ですが、私はそのシンプルな質問を正確に答えることが出来なかったのです。

現に私の回答は、「ギャンブルなんてしたいと思ってしてません。」と揚げ足を取っているかのような、まるでギャンブル自体に責任があると受け止められるような、先生を困らせるような言葉だったのです。

この記事では、ギャンブル依存症の私がなぜそう答えたのか、改めて自分自身を振り返ってみようと思います。

 

さて、先生に向けて私の口から次の出た言葉は、

「ここ数年間はとくに、ギャンブルなんてしたくなかったです。」

という言葉です。私はギャンブルに対していつもネガティブな感情を持っているのにも関わらず、ギャンブルをスタートさせていました。(正確にいうと、スタートさせていたと「思っていた」ですが。)

ギャンブルに対してのネガティブな感情の中身はこのような感じです。

「どうせ負けるし行きたくない」

「またお金が無くなるんだよな」

「やるしかない」

「ギャンブルなんて本当はなくなれば良いのに」

・・・そんな事を頭の中で考えながらも、次の瞬間には息をするようにギャンブルをしていました。そうしていざギャンブルをしてしまえば、それなりに一喜一憂する事になるという、まさにギャンブルに生かされている状態だったのです。

こうしたギャンブルの結果の多くは、当然ながら経済的な損失を負う事になり、はらわたが煮えくり返るような負の感情を抱く事になります。次に来るのは自己嫌悪なのですが、それでも、取り返すためにはギャンブルをしなければいけない、というループに陥ります。こうして、基本的に毎日が苦しかった記憶が蘇ります。ギャンブルをやり始めた頃とは打って変わって、特にここ数年はそんな苦しい状況の中でギャンブルをしていたのです。

この理由は今考えればシンプルで、借金の問題が自分の中で深刻化していたからです。そして深刻化した借金についての問題を、いつも自分の中でかき消す作業に忙殺されていて、その作業の一部がまさにギャンブル行動だったこと、これもまた事実です。

さて、こうした先生への答えは決して、先生を困らせてやろうとかギャンブルに対しての当てつけのような感覚を持って答えたのではありません(当てつけは少しあったかもしれないですが・・・。)先生からの質問に対して、心の底から素直に出てきたものだったと記憶しています。そしてこれは、自己主張がそんなに得意ではない私にとっての、一種のSOSだったことに気が付きました。

「ギャンブルをする時、気分とかそういうものには左右されていません。」

「私は息を吸うようにギャンブルをしていました。」

「私は完全に依存症という病気です。助けて下さい。」

「ギャンブルは私を支配していて、何とかしたいし何とかしてほしいです。」

「一刻も早く病気を治したい、だから病院にきているんです。」

 

これらが私が先生に向けて発信したSOSの主な中身です。実際に口にしたわけではありませんが、今となればとんちな回答をした私の言葉の真意は、おそらくこうだったのだと振り返ることが出来ました。

こうして私は、先生との会話を正常に出来ていなかったわけなのですが、先生の聞いた「どんな時にギャンブルをしたいのか?」というトリガーを探る質問は、私にとってとても重要でした。これは当然で、ある行動を辞めようとしているのに、自分がなぜその行動をするかを知っていなければ、対処しようもありません。私はといえば、単に先生へSOSを発していただけで、これでは解決には向かわないのは明白です。

遠回りはしましたが、こうした事に気付いてからトリガーを探るため、自己内省しました。そこから出てきた私の主なトリガーはこれです。

 

「まとまったお金が財布に入っている時」

「父親と上手く折りわなかった時」

「借金の返済の現実を考えた時」

Youtubeでギャンブル系の動画を見た時」

 

主にこの4つです。これらは、ギャンブル依存症者にとってはよくある答えだと思います。このよくある答えですが、私自身で自覚する作業がとても重要だったと気付きます。こうしたトリガーがいかに私をギャンブル行動に導くか。何となく自覚するのではなくて、自分の敗因としてキッチリ受け止めて自覚する事が大切だったのです。

早く治したいという焦り、病院にまで行っているのだから何とかして欲しいという強い願い、こうした類の感情が合わさって、トリガーを探る重要な質問の意味を、私自身の手によって霞めてしまっていたのです。

 

―グループワークにて、「ギャンブルをしないデメリットは何でしょう?」という質問がありました。これはまさに、自分自身のギャンブル行動=現実にきちんと対峙していなければ答えが出づらい質問です。私はこの質問に対して、ギャンブルなんて私にとって100%の悪魔なのだから、「そんなものはあるわけが無いだろう」と考え、答えていました。

しかし、自分自身の行動を振り返り、ギャンブルをしていない時の自分を想像してみると

「日々、退屈に思う」

「(親に資金管理をしてもらっている事から)資金の制約がある事を自分自身がよく分かっているので、、ギャンブルが出来ない未来を想像すると日々つまらないと感じてしまう」

という答えが浮かびあがりました。

こうして、ギャンブルをしないデメリットすら私にとって存在していたのです。―

 

病院に受診しようと思うくらい、自分が依存症者かもしれないと考えている人であれば、ギャンブルをする自分自身、またはギャンブルという存在そのものに対して、良い感情を持っていることは少ないはずです。むしろ、趣味嗜好を超え生活に浸食してくる悪魔のような存在、と考えている人の方が多いはずです。

まったく同じように、病院に初めて受診した頃の私は、ギャンブルの事をひたすらに悪魔のような存在だと考えていました。悪魔のような存在になぜ負けるのか、なぜ逃げられないのかあるいは戦えないのか、そうした考えが頭の中をぐるぐる回り、自己嫌悪を繰り返し、すっかり心が打ちひしがれている状態でした。そしてこうした感情が私の中の冷静さや自覚する力を消し去って、シンプルな質問に答える事すら困難にさせていたのです。その結果は先ほども書いた通り、単にSOSを発することでした。

こうした流れを踏み遠回りをしてしまいましたが、私は自分自身のトリガーを自覚する作業がとても大切だった、ということに気付きました。

私にとってギャンブル依存は、「何かやってみれば変わる事ができる」では到底回復できない病気だったのです。病院を行く決断をし、先生にSOSを出してみたところで、病気が治るわけがなかった・・・「病院に行けば治るかも」「ブログを書けば治るかも」「ギャンブルともっと向かえば治るかも」・・・色々とやってみたものの、ギャンブルの前ではいつでも無力でした。

翻ってトリガーを自覚することは、原因を断つ努力へと繋がります。私の場合は、現金をなるべく持たないようにして、ギャンブルに近付かない工夫をする事ができます。借金は毎月いくら必要か、現金でいくら用意しておけばよいのか、きちんと計算する必要性も出てきます。そもそも借金の返済を引き落としにしていれば、現金を物理的に所有する可能性も低くなることにも気づきます。私は、自分の中にあるトリガーを自覚し、一つ一つ地道に生活改善をしていくこと、これこそが実は一番近い道なのだと考えを改めることとなりました。

 

今回の記事では、「どんな時にギャンブルをしたいと思いますか?」という簡単な答えすらまともに答えられなかった、私の反省文でもあります。ギャンブル依存症の回復は、私にとっては「何かやってみれば変わる」では出来ませんでした。一つ一つの原因を探り、対処法を見つけ、対処法を実行することでしか不可能だったのです。取り組むための姿勢を保ち日々、進展を感じることで一歩一歩進んでいきます。

 

こうした私の心の中の進展は、良い影響を私自身に与えてくれているような気がしています。ここ一か月以内で「目の前の小さなことを、とにかく大事にしていこう」と日々感じるようになりました。周りにいる人を中心に、小銭でも、掃除でも、洗濯でも洗い物でも、なにか打ち立てた小さな目標でも、とにかくなんでも良いから目は逸らさず、一つ一つを大事に向き合おうとしてきました。

こうした全ての行動がギャンブル依存症の回復に繋がるわけではありませんが、ギャンブル優先で生きてきた人生を少しずつ変化させていきたいのです。そんな日々を積み上げていく行動は、トリガーと向き合う私の姿勢と共鳴してくれるのだと信じているのです。