30代、ギャンブル依存症が書くブログ

20代で多くのものを失った。30代では全てを失う気がする。

人間らしく生きる。

ギャンブル依存症にとって、一番の大きな問題は経済的な問題かと思います。依存症に陥ってしまうと、資金の制約を超えてギャンブルをします。その結果として、周辺にいる人や社会に対して迷惑を掛けることになるでしょう。自走していく事がままならなくなってしまうのです。

ところが迷惑を掛けながらでも生きていける、それが今の日本の社会です。頼れる家族や知り合いが身近にいる可能性が高いのも、平和な日本の社会だからこそです。それに、ライフラインもそんなに簡単には止まらない仕組みになっています。(これに対する副作用は、ギャンブル依存症がなかなか表面化しづらい、かつしかるべき治療を行える機関が少ないという事ではないでしょうか)

反面、周りの人へ迷惑をかける行為は、依存症の当人からしても苦しい事です。開き直っている人は少ないと思いますし、痛みを伴いながらも、それでもギャンブルを辞めれないのです。

さらに、こうした資金の援助はただの延命に過ぎません。本人はおろか周囲までも次第に疲弊していき、いつか破綻してしまうのです。

 

こうして、依存症が進行すると経済的に疲弊していき人間関係も崩壊、そんな結末を迎えるでしょう。

さらに苦しい事に、こうした結末の過程の中において「人間らしく生きれない」日々を送る事になってしまうのが依存症です。当人が自覚しているか無自覚なのかはさておき、人間らしく生きることが出来ない・・・これはとにかくつらい事だと思います。

 

こんな状態(人間)になってしまうのです。具体的に書いてみます。

とにかく、ギャンブル以外の事に興味が薄れてしまいます。天気が良ければ気分が良くなって、何かやりたい意欲が湧いてくるのが人間でしょう。でも、目の前にギャンブルが転がっていれば、ギャンブル行動が優先されてしまうのです。

あるいは、他人に対しての興味が薄れてきます。興味がないといえども、ギャンブルから離れている時、自分の周りの人について考える時間が必ずあると思うんです。あの人は面白いな、とか、良い人だな、今度飲みにでも行きたいな、遊んでみたいな、あるいは、あいつは嫌いだ、苦手だ、今後どういう付き合いをしていこうか、と頭を悩ますこともあるでしょう。こうした人間関係を考える作業は、生きていく上でとても大事なことだと思います。

ところがギャンブルに毒されていると、そうしたこと全てがどうでも良くなってしまうのです。大事にしようと思っている人がいても、ギャンブルが目の前に転がっていればギャンブルに熱中してしまうのです。あるいは嫌いな人や苦手な人のことを考える時間を作ったり、どう対応しようかと対策を練ったりすることも必要でしょう。こうした場合も、ギャンブルに逃げれば気持ちはスッキリするし、もうそんな嫌な人の事はどうでも良くなってしまうのです。こうした行動は、孤立という結果を生むのではないでしょうか。そしてこのような状態で、果たして人間らしく社会生活を送っていけるのでしょうか。私は確実に人間らしく生きていけないと思うんです。

こうしてギャンブル依存症が進行する過程においては、人間らしく生きていくことがままらないと思うのです。ギャンブル中心の生活をしていた自分を振り返ると、自分で自分を人間だとは思えないのです。

 

というわけで、ギャンブル依存は経済的な疲弊、人間関係の悪化を生むことは間違いありませんが、さらに、日々人間らしく生きることがままならない・・・。

目下、これが一番苦しい事だと感じるのです。「ギャンブルに生かされている」という表現がしっくりきます。もし当人が無自覚の場合は、修正もかけられません。こんなにも悲しい話はありません。

 

今の私はというと、「いったりきたり」しています。つまり、ギャンブルから離れられている時は、人間らしく生きていけています。でも、ひとたびギャンブルに熱中してしまうとまた元通りで、人間らしく生きれない日々が続いてしまうのです。

 

対策は考えました。

自分の半径1m以内の人間を大事にする、家族でもいい、親友でもいい。天気を感じる。心地よくなっている自分に気付いてあげる。そしてその感覚を大事にする。季節を感じる。誰かを誘って美味しいものを食べてみる。子供と触れ合う、老人と触れ合う。当たり前の事ですが、幸せなことだとつくづく感じます。

 

何かすれば変わるだろうというよりも、足元をきちっと見て、人間らしく生きることが大事と考えて記事にしてみました。

お読みいただきありがとうございました。