30代、ギャンブル依存症が書くブログ

20代で多くのものを失った。30代では全てを失う気がする。

最近の生活と感じている恐怖。

最近、ギャンブルはしていません。というか、ギャンブルできません。

2日に1回程、1,000円~3,000円程度を母親から預かって生活しているので、ギャンブルしたくても出来ない環境にあるのです。実際、ギャンブル依存症にとってはこうした生活が一番のお薬になるのだと思います。ただし、これはただの鎮痛剤(痛み止め)であって、特効薬でもなんでもないことも重要だと思っています。もし資金が目の前にあったら、ギャンブルが目の前にあったら、きっとしてしまうしやりたいと思うでしょう。例えばいま私がこの状態から解放されたとして、自分の給料をある程度自由に使える状態になれば、すぐに際限なくギャンブルを再開してしまうと思います。

母親とギャンブルについて話をしていたら、この辺りの理解がされにくいのだろうな、という印象を受けました。母親からすれば、私がここまで堕ちた状態になって、後悔も沢山していて、通院までしてみて、お金が無い状態という事を知っているので、それでも「私がギャンブルをしたい、してしまうと思う」という考えに至ることが、まるで理解が出来ないのだろうと思います。これらは、母親と会話する中で私が感じたことです。そして、ギャンブル依存症という病気について、なかなか他人に理解されづらいことを上手く表していると思いました。

世の中の大多数を占める、ギャンブルとは無縁の方からすれば、まるで理解できなくて当然だとも思います。今の私の状態ですら、意味が分からないと思います。「そりゃそうだよな」と自分自身で思います。例えば、私と関係性のない人間からすれば、私のことを「本当にバカだ」「こんなクズ治らないよ」とかそういう風に感じると思います。

反対に、関係性のある人間からすれば、「自分でよく分かっているんだから、早く辞めた方がよいよ」とアドバイスを送ってくれたり、「そんな状態になっているのに、なんでギャンブルしたいと思うんだろうな?」と疑問を持ってくれるかもしれません。あるいは、「お前は真のギャンブラーだな」と笑いにして、励ましてくれるかもしれません。

ただし、この先もしもまた私がギャンブルをして、生活に影響が出る状態になったとき、私のギャンブル依存を知る関係性のある人間は、私に対してどう思うのでしょうか?きっと、その次は私の人間性を疑うことになると思うのです。「あいつはもうダメだ」と思われても仕方がない、そしてそれが私の母親であってもです。これが私にとってかなり恐怖です。

誤解のないように書いておくと、私はまたギャンブルをすると宣言しているわけではありませんし、するつもりもサラサラありません。ギャンブルをしている時の自分を振り返ると、単に自信が持てないのです。

そんなこんなで、お金がないという鎮痛剤を手にした私は、ギャンブルはしていない状況です。こうした生活を基盤にしつつ、通院をしたり、グループワークしたり、ブログを書いたり、ギャンブルについて語ったり、考えたりすることで、回復のフェーズに向かっていくのが理想形なのだと思います。病気だからと開き直っているわけではなくて、この難しさは私が一番よく分かっているつもりです。

 

そして病院の件、どうしようかな。早く対処していきたいなぁって思ってます。