30代、ギャンブル依存症が書くブログ

20代で多くのものを失った。30代では全てを失う気がする。

パチンコ・スロットは依存症ビジネスだと考えている。

「依存症ビジネス」

そんな言葉がこの世の中に存在して良いのかどうか私には分かりかねるのですが、

パチンコ・スロットは「依存症者が存在しないと成り立たないビジネスである」と考えるようになりました。簡単に言えば、依存症者がいないとくいっぱぐれる商売だと感じるのです。私のようにパチンコ・スロット(以下、パチスロ)と頻繁に触れ合ってきた人間からすれば、そう思わざるを得ません。

そして、今回の記事で私はその事について暴言を吐きたいわけではありません。ただ、パチスロはそうした側面を持っているかもしれない危険な存在、という事を一緒に考えてみませんか。どこまでいっても私の推測の域を出ませんが、どうかご了承ください。

*前置きとして、他のギャンブルと比べてパチスロの依存症率が圧倒的に高いことをお伝えしておきます。これは統計データで結果として現れています。ですので、「パチスロなんて、一度で負けられる金額がしれているじゃないか」「ほかのギャンブルの方が負けやすい」等々、色んなご意見があるかと思いますが、この辺りについて私が考える事は、また別の記事でつづります。

パチスロ=依存症ビジネスだと結論づける事の難しさ

ある店舗において、依存者が今日という日に何人来店し、そしてその依存者が今日という日にいくら使ったのか・・・全国の至るところにあるパチンコ店で、そんなデータが取れるはずもありません。(パチンコ産業を潰そうとしない限り無理に思えますね。)

そもそも、ギャンブル依存症というのは具体的な症状があるわけでもなんでもありません。見た目でもほとんど判断できませんし、依存症者であっても、当人が自覚をする事が難しい病気です。また、依存症者にも軽度から重度まで度合いがあります。私のように借金があったり、借金を返す為のギャンブル行動をしたり、精神的な苦痛を伴っているような依存症もいれば、借金がない依存症の人だっているでしょう。借金はしていないけれども、使ってはいけないお金を使い込んでいる人もいるでしょう。また、そのギリギリで踏みとどまっている方もいるでしょう。そんな依存症予備軍の方も多いと思います。

このように依存症者のおかれている社会的、経済的環境は様々です。一体、どのようにデータを取れば良いのでしょうか?私には無理に思えます。

こうして来店データを取る難しさ、依存症として認定する難しさ、これらが相まって、「パチスロは依存症ビジネス」などと公に認められることなど、きっと未来永劫ないのだと思います。

依存症ではない人って?

そもそもパチスロをしている人の中で、依存症ではない人ってどんな人なのでしょうか?私が想像するのはこんな人です。

たまに友達同士で遊びにいく、暇な時間がたまたまできたときにふらっといく、お小遣いを限度にたしなんでいる(平均的なお小遣いですと、パチスロはすぐに限度がくる仕様です。)、打ちたくなっても交友関係や趣味が広くて、そこまで時間が使えない

・・・このような感じでパチスロと向き合う事が出来ている人だと思います。

でも、果たしてこうしたお客さんたちだけで、パチンコ店が売上の多くを稼ぐことが出来るのでしょうか?→私は明らかに「No」だと考えています。

パチンコ屋の人間模様

私のようにパチンコ屋に頻繁に出入りし人間模様をみていると、依存症がいないと成り立たないビジネスなのだろうなと感じるわけです。その理由を書いてみます。

平日は、朝からひまな老人、主婦、学生らしき常連さんがやって来ます。常連さん

といえば聞こえはいいですが、依存症者の可能性が高いのではないでしょうか?それに、日本人の平均的なお小遣いですと、パチスロをしていたらすぐにそのお小遣いを失ってしまいます。つまりパチスロは、一般人が毎日頻繁に遊べるようなギャンブルではありません。(これはパチスロをよくする人ならすぐに分かると思います。)

そうして夜になると、仕事を終えて疲れ切った私のような依存症がやってきます。こちらもいわゆる常連さんです。

こうして朝から晩まで、パチンコ屋さんの駐車場をみると平日にも関わらず、そこそこ繁盛しているように見えるでしょう。休日は言わずもがな。こんな多くの人がなんでパチスロなんてしているんだろう、と疑問を持たれる方も多いと思います。もしかすると、異常だと思ってらっしゃる方もいるかもしれません。間違いなく、そこには常連さんがいるんですね。

そしてお店の中では、常連さんと思われる人たちがみんな険しい顔をしてパチスロを打っているのです。当たって喜んでいる人もわずかながら見かけます。でも、基本的には真剣な顔をして、1:1で台と睨めっこしている人が多い印象です。(これもパチスロをよくする人ならばよく分かると思います。)

また、イライラが抑えられず、台を殴る人も見かけます。負けた腹いせに駐車場に車のゴミを捨てている人や、たばこをポイ捨てする人を見かけることも多いです。パチンコ屋によく出入りするほど、自分の子供に自信をもってパチスロを薦める事など出来ないでしょう。楽しいところだから大人になったら行っておいでね、なんて口が裂けても言えないでしょう。逆にあんなところには絶対に行くな、とアドバイスを送ると思います。

そもそもパチンコ屋ってこんなところ

そんな常連さんが沢山いるのがパチンコ屋さんです。それでもパチスロをしない人にとっては、当たり前ですがパチンコ屋の事をよく知らないので、そんなに沢山常連さんがいるとは考えられないと思います。そもそも、なぜ身を削ってまでもそんなものに熱中しているのか、理解に苦しむと方が大多数だと思うんですね。

でも、パチンコ屋さんってこんなところです。

例えば、基本的に時計がないところが多いです。時間を忘れるくらい没頭させる為です。パチンコ台からは、人間が心地よいと感じる音楽や効果音が沢山流れてきます。これは、もちろん人間が研究した上で、設計したものです。「あんなうるさいところによく行くね」と思われるでしょうが、それが心地良く感じてしまうのです。大勝すれば、10万円~20万円を短い時間で手にすることが出来ます。朝から晩まで毎日営業していて、時間があればいつでも気軽に入れます。そしてあろうことか全国いたるところに点在しています。こんな国って他にあるのでしょうか。

このように人々が依存症に陥ってしまう、ありとあらゆる仕組みが施されていているのです。

常連さんとパチンコ屋の売上

こうして、依存症の常連さんがいないとすれば、果たしてパチンコ屋さんの売上はどれくらい縮小するのでしょうか?おそらく、経営出来ないレベルで縮小するのだと思います。毎日お金を落としてくれる依存症者(常連さん)がもしいなくなったら、平日のパチンコ店は閑古鳥が鳴いているでしょう。

ただ、冒頭にも書いた通りデータ等存在せず、それらを分析する手立てはありません。どこまでいっても私の主観ですが、十年以上パチンコ屋に触れ合ってきた私の意見として、少しは信ぴょう性があるのではないのでしょうか。

私の考え

以上、私が依存症ビジネスだと思う理由を書いていきました。

前述しましたが、どこまでいってもパチスロが依存症ビジネスとイコールには成りえません。というより、私の書いている事全てが、単にパチンコ依存者が負けた腹いせに憎悪を募らせて悪口を書きまくっている、と解釈されるかもしれませんね。決してそういうわけではありません。

「知る人ぞ知る」

世の中にはグレーなことが沢山あります。パチスロだってそのうちの一つに過ぎないのかもしれません。ただし、昨今ギャンブル依存症問題が少しずつ大きくなっているように、グレーのまま存在し続ける事には違和感を覚えざるを得ない事も事実です。業界の産業構造はとても特殊なことは周知の通りで、是正されるまではまだまだ時間がかかるでしょう。せめて、本当に危険な場所であることが少しでもお伝え出来たらな、という思いです。

ちなみに私は、自分自身を苦しめたパチンコを色んな視点から見ることに意味を感じています。私自身が近付かないようにする一つのキッカケにしたいからです。

私はギャンブル依存症です

以上、私がパチンコと頻繁に触れ合い体験したことを振り返ってみて、パチスロが依存症ビジネスだと考える理由を書いてみました。現実社会では、当たり前ですがすべて自己責任です。パチンコ屋さんがどんなビジネスをしていようが、それに近寄る自分自身が一番悪いですし、借金までしてギャンブルをする自分自身に責任があります。なんでまた行ってしまったんだろう、なんで使ってはいけないお金を使ってしまうのだろう、ほんと自分ってクズだな・・・基本的には本人がそう考え苦み、それでも立ち上がろうとするほかありません。今はとにかく前向きに、という思いで生きています。

 

今回の記事が、依存症者の方や、身近に依存症者の方がいらっしゃる方にとって、少しでも参考になる事を願っています。一人でも多くの方に危険な存在であることが伝われば良いな、という思いです。