30代、ギャンブル依存症が書くブログ

20代で多くのものを失った。30代では全てを失う気がする。

前向きに勉強していこう、そうしよう。

来週はいよいよ病院に行ってきます。

まずは私が住んでいる都道府県の「精神福祉保健センター」に電話しました。ギャンブル依存については、精神病の一種です。つまり、薬物やアルコール依存と同じ類に位置づけられるようです。今回の電話でカウンセリングを受けれるわけではありません。しかし、病院を紹介してもらう事ができます。

まずは、私とギャンブルについての一通りの情報をお伝えしました。私からすればこの電話も一苦労、というよりも両親以外の人に私の個人的なギャンブル情報を伝えるのも初めてで、電話越しとはいえ少しだけ緊張してしまいました。

特に「ギャンブルは何をされるのですか?」の質問に、いまさらながらドキッとしてしまいました。一歩一歩ですね・・・。

 

私の都道府県では、ギャンブル依存症の専門医が少ないようです。専門医がいる病院を3件、あとはアルコールや薬物依存症を診ている病院は多いようですが、ギャンブル依存症に対応しているかどうか分からない病院のいくつかを紹介して頂きました。ただそんなところに行くのは無駄だと思ったので、専門医がきちんといて、グループワークが出来る病院を選択し予約しました。これがまた遠いんですが、感覚的には遠い方があえて良い気もしています。

 

さて、20代を棒に振った私は勉強をしていかなければならないと、数年前から思うようになりました。ギャンブルをする資金がないときは、それなりに打ち込めています。私は友人は少ないし、独身なので、まあそれなりに時間があるわけです。

それなりにギャンブルが順調なときは、勉強したい欲望よりもギャンブルしたい欲望が勝ってしまうので、サボってしまうのですけどね。そんなわけで勉強とギャンブルを行ったり来たりしている日常です。(返済に追われているときは、なにもしません。というかもう何もかもがどうでもよくなって、狂ったように寝るのです)

 

勉強については、コロナ社会になってから余計に考えるようになりました。一番関心があるのは、経済や経済政策の事ですかね。なぜコロナ渦で皆が苦しんでいるときに、税収が過去最高になるのだろう、と考えたり、ゆるゆるの制度で舵を切った持続化給付金政策において、不正受給が起こりまくる社会に違和感をおぼえたり、とか、国民一人一人に10万円の給付があったけどそれってどういう影響があるのか考えたりとか、そういうキッカケがあって経済についての本を読むようになりました。

 

コロナついでに書いておきますが、あの当時はパチンコ屋がやり玉によく挙げられてしましたね。それによって各パチンコ店は、数週間程度は自粛していたと記憶していますが、わりとすぐに日常を取り戻していたように思います。(変わったのはお客さんがマスク姿になったことだけ)

パチンコサイドの言い分としては、「パチンコ屋は空気の循環もばっちりだし、現にクラスターは起きていないじゃねぇか。なんで俺らだけ悪者なんだよ」という論調の記事もよく見かけましたが、これに対して依存症の僕がよく考えていたことは、

「こんなご時世にパチンコ屋に行っている事を、他人に言えるわけないじゃないか」です。つまり誰も申告しないので、クラスターなんて起きえません。体調が悪くて病院にかかっても、「パチンコをしてまして…」なんて普通の感覚なら言えません。とてもパチンコ屋に行けるような空気ではなかったですよね。それでも、すぐに平常営業に戻していましたし、気にない方は普通に打ってましたけどね。

 

そもそも、日本の中にはパチンコなんて無くなった方が良いと考える賢い人(普通の人)が大半で、単純にバカ側が責め立てられていたという事でしょう。パチンコが認めらている社会において強制的に営業ストップは道理的におかしいかもしれません、でも、考えてみれば責め立てられるのが当たり前の話です。それが世間だと思うし、社会というものです。擁護していた人は、ただの世間知らずなんだと思っていました。

こんなこと言えば元も子もないですが、パチンコが認められている社会ですら異常ですからね・・・。

 

ちょっと話が脱線してしまいました。

とにかく私は、勉強していかなければならない身なのです。頑張ります。