30代、ギャンブル依存症が書くブログ

20代で多くのものを失った。30代では全てを失う気がする。

全てを失いそうなので、ブログを始めてみようと思った。(自己紹介記事です。)

ギャンブルを辞めたい。でも、どうしても辞めれない。

そしてこのままだと全てを失うのだろう。

 

初めまして。

30代半ば、会社員のなると申します。ギャンブル歴はかれこれ15年以上になります。

これまで主にパチンコと競馬をやってきて、借金を数百万円も抱えてしまいました。

ギャンブル依存症のセルフチェックをすると、ほとんどのチェック項目にチェックが入る位に、重度のギャンブル依存であると自分自身で自覚しています。

 

私とギャンブル経歴(気づけば依存症になっていた)

私は、20代で多くのものを失いました。親しくしていた友人や当時付き合っていた彼女、そして何より20代の貴重な時間の多くをギャンブルに費やしてきました。失ったものは計り知れません。振り返れば、こんな生活よりも刑務所で過ごしていた方がよほどマシのようにも思えてくるのです。

大学を卒業後、新社会人になった当時の私は仕事が終われば近所のパチンコ屋さんに頻繁に出入りをしていました。休日は、朝から晩までパチンコ屋で過ごすような生活です。

ギャンブルをやり始めた頃は、勝ったり負けたりを繰り返していました。休日になるとパチンコ屋に行けることにワクワクしていましたし、パチンコを打っている最中もそれなりに楽しんでいたように思います。

ただ、パチンコ中心の生活になっていくと、すぐに負けが込んでいくようになりました。そして、お金が回らなくなりそうになった時、会社の先輩から消費者金融について知る機会を得ることになって、それからすぐに借り入れをしていました。そこから借金が増えるペースは、かなり早かったと記憶しています。1社から2社、3社といわゆる多重債務者となるまで、そんなに時間はかかりませんでした。

思えば借金をし始めてからは、「どうせ今日も負けるんだろうな」とネガティブな感情を持ってパチンコ屋さんへと車を走らせていたように思います。

負けることを分かりつつも、いざ実際に負けると私の中のイライラや憎悪は日に日に大きくなっていました。感情のコントロールが難しくなって、車を飛ばしてみたり、つばを吐いたり、ゴミをポイすてしたり、パチンコ屋の店員を睨みつけたり等、醜態をさらけ出していたように記憶しています。そんな私もたまには勝つことがありますが「負けなくてもよかった…」とホッとするだけ、ましてや勝った資金は返済に回るだけです。

はたして私は何のためにパチンコをしているのか、よく分からない状況に陥っていきます。

こうした状況になったのは、私が20代半ば~後半あたりです。当時は自覚がありませんでしたが、この時点でもう立派なギャンブル依存症です。

私は大学を卒業してから転職は一切せず、今現在も同じ職場でお世話になっています。仕事の時は、ギャンブルの事を考える暇もなくそれなりに打ち込めてきました。ですので、なんとか仕事への影響を最小限にとどめてきたつもりです。(精神的な影響は確実にあったと思います)

ただ、仕事の以外の時間の多くをギャンブルに費やしていましたので、現在も社会的にみて地位・収入、そしてスキルも高いとは言えません(単に能力が低いだけかもしれません。)そして、集中力も年々短くなってきていると感じますし、現在、ギャンブル以外のほかの事への興味は、ほとんど持てなくなったように思います。

全てを失うことになるだろう

以上のように、20代をドブに捨てた私は頻度こそ減りましたが現在もギャンブルを辞められないまま、30代も半ばになりました。当然結婚はしていません。

そして、このままいくととうとう全てを失ってしまう事になるのだと思います。

一生独り身で借金に追われ続ける毎日。ギャンブルと借金に生かされている人生に終始すると思います。友人も少なくなりました。そして、迷惑をかけ続けている両親からも、いよいよ縁を切られることになるのでしょう。

こうして私は、このままではどうしようもない人生になると考えてブログを始めてみる事にしました。ここから先の記事は、借金と私について詳細に書いていきたいと思います。具体的には両親が深くかかわってきますので、そのあたりについて書きます。ちなみに過去、両親から「金の縁は縁の切れ目。お前とは縁を切ることも考えている。」と言われた事もありますが、私がギャンブル依存に陥っていると自白する事になってからは、なんとか協力して頂ける関係性を保っています。

というわけで、ここからまた長文になってしまいますが、私の体たらくぶりを全て書いていこうと思います。借金の発覚~現在の心境まで、一気に書いていきたいと思います。

借金と両親について①

私の借金は、実家に催促通知が届いたことから発覚しました。

家族に内緒にしていた借金が、封書でバレてしまうというのはよくあるパターンだそうです。私の場合もまさにそれでした。

この時は当然、私と両親で話し合いになりました。

これは借金をして間もないころ(30万円の借金を作ったときの事)でしたので、実家へと封書が届くという仕組みを私が知らなかったが故に、両親にバレてしまう事になりました。

結果的に、借金は親に肩代わりをしてもらう事になりました。

その時は、謝罪と数時間程度の話し合いで終わったと記憶しています。でも、なぜ借金をしたかその理由をしっかりと聞かれませんでした。私も、とてもギャンブルで作った借金だとは言えませんでした。(ここから先こうしたやり取りが何度もあるのですが、両親は私になぜ借金しているのかをはっきりと聞いてきません。)

こうして両親から借金を返済してもらったにも関わらず、それでも隠れてギャンブルを繰り返す私はまた借金をした挙句、返済を滞らせてしまい、またしても実家に催促がいくようになりました。

この頃の私は、返済を後回しにしたお金でギャンブルに打ち込む癖がついてしまい、負けが続くと返済が滞っていく、というパターンに陥りました。返済すれば、手持ちのお金が生活費以外残らなくなっていたため、それでは交際費等をねん出できないだとか、とにかくギャンブルをしたいとか、そうした考えに陥っていき、そしてそれが毎月ループしていく状態です。この頃にはもう、立派なギャンブル依存症です。

1か月くらいであれば返済を滞ることが当たり前になり、なんとかごまかしながらやり繰りしていても、数か月に1回くらいのペースで、実家に催促状が届くようになりました。もちろん、両親にバレたくない気持ちはありつつも、だんだんと「もうどうにでもなっちゃえよ」という投げやりな感情も芽生えるようになっていたと思います。

こんな事をしているので、実家では私の両親でよく話し合いを行うことになり、結果として、借金の肩代わりを何度かしてもらうような状態となっていったのです。

 

―こうした借金と借金の滞納を繰り返すあり得ない状況の中、両親はなぜ私が借金を作ったのか、核心を突くような質問をしてきませんでした。社会人として親元を離れている息子を信用していたからこそだと、今になって分かりました。とてもやさしい、良い両親だと思います。

そういうわけで私は、こんな状況になっているのにも関わらず、ギャンブルで作った借金だということを両親に打ち明ける事は最後までなかったのです。―

 

借金と両親について②

あるとき、限度額いっぱいに借り入れたカードローン(100万円)の催促状が実家に届きました。「お前はまた借金をしているのか!」と、当然ながら父親に問い詰められました。

 

謝罪するしかない私に、父親は「自分が100万円を支払うから、綺麗にしてお前は婚活をしてくれ」と言いました。この時の父親は、私に早く結婚してほしいととにかく考えていたようです。父親の中では、私が結婚に対して後ろ向きな理由を、「借金をしている事によるもの」だと考えていたと思います。確かにそれは事実で、借金があって結婚なんて考えられるわけもありません。また、借金の理由が何にしろ、「恋愛や結婚が私にとっての転機になる」という考えもあったのかもしれません。本当に良い父親だと思います。

そして、この時ばかりは「親子といえども、金の切れ目は縁の切れ目だから」という念を押される事にもなりました。

でも、この時ですら私はギャンブルで作った借金だと打ち明ける事はありませんでした。父親からも、核心を突くような質問はされませんでした。

繰り返しになりますが、聞いてこなかったのは父親のやさしさだと思います。良い父親です。そして、それに見事に甘えてしまったのが私です。

借金と両親について③

さて、20代後半~30代頃の私の借金は、実家に届いた催促状の100万円のほか、総額300万円以上に膨れ上がっていました。もちろんすべてギャンブル、主にパチンコです。

そして、総額300万円以上の借金のうちの、先ほど書いた100万円を両親に肩代わりしてもらったわけです。ほかにある借金の事は、口が裂けても言えませんでした。

父親からすれば私の借金が綺麗になって、気持ちが婚活に向かってくれるだろうと考えていたと思います。私の方はというと、ギャンブルも隠れて続けている上にまだまだ借金が残っている状態で、当然婚活などしようがない状況でした。

 

この時、両親には秘密にしている借金が残っているとはいえ、1/3程度を肩代わりしてもらった事でほかの返済もラクになりました。肩代わりしてもらった事で、経済的にも精神的にも、少しだけ安定するようになったことを覚えています。

そして、「もう絶対にギャンブルはしない、再建しないとだめだ、親にももうこれ以上迷惑をかけられない」と強く誓いました。

こうしてこの1社(100万円のカードローン)に関しては、父親がすべて完済してくれたわけですが、1か月もしないうちに営業の電話があったと記憶しています。またご利用の機会がありましたらぜひ、という軽いものでしたが、もうお世話になるつもりなどなく、軽くあしらい、キャッシングが出来るカードそのものも処分しました。

 

しかし、こうした決意は空しく私はあいも変わらずギャンブルを辞める事が出来ませんでした。当然のように隠れてギャンブルを繰り返していました。

そうしていつものようにお金が回らなくなってしまい、父親が完済してくれたローン会社の事を思い出しました。それで私は、またしてもこのローン会社から借り入れしてしまったのです。

「数万円なら大丈夫だろうすぐに返せるから。」と、ギャンブルで回らなくなってしまった生活資金の為に、借り入れを再開してしまったのです。

そうしてしばらくすると、今までとまったく同じように借り入れ資金をギャンブルに回すようになっていました。何度繰り返すのだろうと、自分自身に失望しかありません。そしてこの時点で、私は病気であると本格的に自覚していったと思います。

その借金については、半年もしないうちに、またしても限度額いっぱいの100万円に到達しました。(この時から一人のとき、「しにたい」とよく口にするようになっていました。)

自白

さらにあり得ないことに、私はまたしてもこのローン会社の返済を滞らせる事になります。結果として、実家にまた催促の連絡がいくこととなりました。この時点で私は全てに投げやりになっていました。感情を消し、もうどうにでもなれば良い、とさえ考えていました。

父親からすれば「肩代わりして完済した100万円が、半年も経たずにまた限度額いっぱいになっている」・・・そんな現実をとても信じられなかったと思います。

 

こうして私は、とうとう家族から追いつめられることになりました。何度か前述した「借金の理由」を初めて両親に問い詰められる事になったのです。そうして私は「すべてギャンブルで作った借金」だという事を、両親へと打ち明けることになりました。両親は、おおよそ検討が付いていたような返答だったと記憶しています。「ギャンブルか、女かのどちらかだろうと思っていた」と父親からは言われました。

この時、私は両親の前で泣き崩れました。親に対して申し訳ない気持ち、誰にも言えなかった借金の事や私がどういう行動をしてきたか、どんな気持ちだったのかを初めてほかのだれかに言えた事も大きかったのだと思います。自然と涙があふれてきました。

私の中では、心の中が少しだけクリアになった瞬間でした。不謹慎かもしれませんし、一般的にはよくわからない感情だと思います。

「情けない」「これからどうする」「弱いヤツ」さんざん責められる事になりましたが、私がやってきた事を考えれば当然です。でも、最終的には家族に優しい言葉をかけられました。「まだ間に合うから」という言葉は私を救ってくれました。この話し合い中、私は何度も何度も涙を流しました。

そしてこの時ばかりは、自分の中で底が見えたような瞬間となりました。今までどういう行動をしてきたか、どんなギャンブルをしていたか、いつからいつまでやっていたか、他に残っている借金はいくらか。そのすべて打ち明けることになりました。

 

2022年末に行ったこの話し合いは数時間に及びました。最終的にはお金を両親に管理してもらう事になりました。いくら借金があるのかきちんと整理して両親にも報告しました。自身の力で地道に返済していく方向も決まりました。私にとっては「底」が見えたと思いました。やるしかない、再スタートがきれた、と思えた瞬間でした。

現在

こうした私の人生の中で最も記憶に残るであろう自白を行ったのは昨年末。そして現在の私は、こんな経験を経てからも隠れてギャンブルをしています。借金はもう増える事はありません。借りれるところがないからです。闇金に手を出す勇気はありませんし、手を出そうとは思いません。また、人をだましてお金を借りたり、何かを盗もうという感情もわきません。

返済へと充てるお金を母親から預かって、またギャンブルに使ってしまうのです。少し前に、とうとう携帯電話も強制解約されました。

「いい年をして親の前で涙」・・・こんな体験をしてまでも、ギャンブルをしてしまうのです。さんざん迷惑をかけた親の前ですべてをさらけ出し、底が見えた気がしました。励ましてもらい、少し気持ちが晴れやかになり、そして負担を掛けながらも協力をしてもらう事を約束して頂き、再スタートを切った。にも拘わらず、ギャンブルをしてしまうのです。20代の貴重な時間を取り返してやろう、そう意気込んでもギャンブルをしてしまいます。休日の晴れた日、車を運転しているととても気持ちが良いです。気分が乗るし、好きな音楽でも聴き、掃除をしてゆっくり本でも読もう、そう思っても、支払いがあるからと親にお金を預かり、またギャンブルをしてしまいます。どんなに小さな決め事さえも、ギャンブルの前では無力だと感じざるを得ないのです。

 

もうこれ以上は親に迷惑をかけられない

そしてこのままいくと全てを失う

もう消えてしまいたい

ギャンブル依存なんて不幸になるだけだ

 

頭の中でそう考えているのにも関わらず、私はギャンブルを辞められていません。

自白した日に父親から投げかけられた「まだ間に合うから」という言葉は、その時の私を救ったはずですが、今となれば恐怖さえ感じます。いよいよ間に合わなくなってしまう、と。

 

大変にお恥ずかしい話ではありましたが、これが今の今に至るまでの私のギャンブル記録のすべてです。

最後に

私はいま現在生きていますが、でもこの先同じように生きて、とうとう全てを失ってしまったら、おそらく自分はもう死んでしまうしかないのだろうと思います。

 

でも、そんな人生はどう考えてもいやです。

ギャンブルをすることで、ネガティブな感情に左右される毎日ですが、私だって前を向けることもあります。明るい未来や希望を少しでも想像できる瞬間があります。

そんな時、私のギャンブルについて思っている事や体験した事を記録としてブログに残していこうと思いました。

今後については、病院への受診の機会を得ましたし、前向きに治療していこうと考えています。そうした記録もブログでつづっていけたら、と考えています。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

※今回の記事では、私の反省については深く書きませんでした。

何があったのか、どう過ごしたかを中心に書きたかったからです。

反省は死ぬほどしています。何度も自己嫌悪を繰り返し、しにたいと思う事も沢山有ります。だからそれはまた別の機会で書かせて下さい。