30代、ギャンブル依存症が書くブログ

20代で多くのものを失った。30代では全てを失う気がする。

お金と感情の動き。

いよいよ給料日が来ました。

ある程度のまとまったお金(といっても5万円とかです)が手元に入ると分かった時、私の感情はかなり高揚している事に気付きます。これは、毎月の事です。そして一部をギャンブル資金にしてしまいます。

間違ってもギャンブルしてやろう、なんて腹を括るわけではありません。でも、お金を手にした自分を想像をするとテンションが上がるのです。そして実際にお金を手にした時には、心がホッとして落ち着くような感覚を覚えます。

Twitterギャンブル依存症の方を拝見していると、自ら目標を立て「今日で禁止〇〇日目!」というツイートをよく見かけます。やっぱり一定の効果があるんでしょうか?

こうした方たちに比べて私は、「ギャンブルなんてしない」と考えているものの、「絶対にしないぞ」とか「誘惑に負けないぞ」とかそういった決意的なモノが希薄な気がしてきました。決意して負けてきた経験が何度もあり、諦めているのかもしれません。

例えば禁煙に成功した人の話を聞くと、「意思が強いんだな」と感心する事があります。ギャンブル依存症の治療は、禁煙よりもハードルがかなり高いとは思うのですが、「意思を強く持つ」ことに越したことはないのかもしれません。

 

ブログに書いていっているように、ここ一年以内でギャンブルにまつわる経験をたくさんしてきました。親の前で涙もしましたし、借金の建て替えも何度もしてもらっています。その時、心底ギャンブルを辞めようと思うのに辞めれていないんです。私自身、「決意なんて意味がない」と考えているのでしょうか。まだまだ甘いのでしょうか。親から支払い分として支給してもらうお金には、まだ自分自身で余白を設けている時点で甘いですよね。実際「とりあえず5万円の支払いをする」と言いながら、受け取ったお金の一部をギャンブル資金にしているんです。本当にクズだと思います。

 

自助グループは地元なので二の足を踏んでいる状況ですが、9月に入れば新しい病院を受診、そして別の病院でのグループワークにも参加が決まっています。

それまでの繋ぎとして、ここ最近ギャンブルやギャンブル依存症について、より深く知識を得るようにしています。何かしらの気付きに繋がって、ギャンブル行動の抑制につながるかも、という思いからです。それこそ、ブログを書く事も私にとってはそうです。ギャンブル対策として、それなりに時間を割いているつもりです。

それでも、お金を手に出来ると分かった瞬間や手にした瞬間は、どうしようもない感覚を覚えてしまい、ギャンブルをしてしまうんです。そしてお金を失い、引きずってしまう日常がしばらく訪れるのです。いったいどうすれば良いのでしょうか。

ギャンブルばかりしている人を、甘くみてはいけない。

もし、あなたの周りに頻繁にギャンブルをしている依存症と思われる人がいるとしたら、「あいつはギャンブルが本当に好きなヤツだ」とか「あるいは本人の自由だからやらせてあげてたらいい」とか「ギャンブルばかりしてバカだなぁ」など、そうした様々な印象を持っていると思います。

 

そうした相手が大事な人であるならば、ぜひこの記事を読んでいただきたいと思います。

まず前提として私は、ギャンブルに熱中している状態である以上、本人が普通にふるまっていたとしても、深刻な状態に陥っている可能性が十分にあると考えています。

そこで、少しでも危機感を感じる人が増えれば、当人が何かキッカケをつかむことが出来るんじゃないか、と考えました。

というわけで、私が思う大きなポイントを2つ書いてみたいと思います。これは、ギャンブルの事をほとんど知らない人ほど、参考になると思います。これを読んで、危機感を持って頂ければ幸いです。小生意気ことを言いますが、本人に疑いの目を向けてあげる事が大切だと思うのです。

 

一つ目のポイント。

周りからみてもギャンブルばかりしていると分かるような人は、周りの人が想像する以上に日常的にギャンブルをしている可能性が高いです。

24時間監視をしたら、ビックリされると思うのです。隙があればギャンブルをしているという感覚です。

例えばパチンコ屋は、大体10時開店~23時閉店まで、全国至るところで営業されていて、いつでも自分のタイミングで遊ぶことが出来ます。

また、競馬や競輪の公営ギャンブルは、スマホ投票サイトに自身の口座を紐づけることができ、全国毎日至るところで開催されているギャンブルにベットすることが出来るのです。そして、グレーとはいえオンラインカジノなるものも最近は流行っているそうです。私は経験したことがないですが、24時間遊べるものだと思います。

こんな状態ですから、いつでもどこでもギャンブルが出来るのがこの世の中です。周りから見てもギャンブル好きと分かるような人は、こうしたギャンブルの何かしらにほぼ毎日触れ合っている可能性があります。

そして、これを分かりづらくさせるのが本人の嘘です。依存症になると、ギャンブルをすることが後ろめたくなって嘘をつくようになるのです。

たとえ心配になったあなたが

「今日もギャンブルしたの?」という質問をしたところで、

「今日は行かなかったんだよね」と平気で嘘をつくようになるでしょう。

特に負けが込みだすと、他人にギャンブルの話をすることが億劫になります。そして、嘘を平気でつくようになります。人間は誰しも失敗は人に隠したいものです。これが人間の心理です。

反対に、大勝ちして気分が良い時には、ギャンブルの話を再度始めるかもしれません。これも、自慢したいという人間の心理です。こうして、嘘をつくようになれば、周囲はますます分かりづらくなってしまうのです。

このように、基本的に周りから見てもギャンブルばかりしているような人は、周りが想像する以上にギャンブルをしている可能性があります。そして徐々に嘘が混じってきて、SOSを掴みづらくなることも重要です。ことギャンブル行動に限っては、悲しいですがその方を疑うくらいがちょうどいいと、私は思います。

 

二つ目のポイント。

ギャンブルの経済的な破壊力は、安く見積もりべきじゃないという事です。

ギャンブルをしない人は、ギャンブルがどれくらいに経済的な損失をもたらすか、当然よく理解できないと思います。さらに、上に書いたような本人の嘘も混じってくるので、一体いくらの損失をしているのか把握する事は困難だと思います。それに依存症が進行すると本人ですら、いくらの損失になっているか、把握できていない状態にさえ陥ります。

 

「勝ったり負けたりしているようで、貯金はあんまりしていないようだけれど、何となく本人の趣味であるし、放っておこう。」

「負けたと言っていたけれど、まあ常識程度の負けだろうなぁ。」

 

そう考えてあげるのが自然かもしれません。でも、日本人の平均的な所得からいって日常的にギャンブルが出来るほど、ギャンブルは甘い存在ではありません。これは、どんなギャンブルに関しても同じです。

「パチンコなんて一度に負けれる金額がしれている」というのはよく聞く言葉ですが、そんな事はありません。毎日できますから、一日1万円負けたとしても、とんでもない額になるでしょう。それに、仕事が終わってから遊びに行くとしても、一晩で数万円は簡単に失える世界です。

パチンコだけを例に出しましたが、基本的に日本のギャンブルはどれをとっても、経済的な損失が大きく、毎日お小遣い程度で遊べるような世界ではありません。

 

以上、ギャンブルのことをあまり知らない人にとって少しでも参考になるように、2つの分かりやすいポイントを書いてみました。

もちろんこれには、私の経験や肌感も混じってはいるのですが、私自身十年以上ギャンブルに熱中しきましたので、それなりに説得力があると思っています。

毎日ギャンブルをしているであろう人が、たとえどれだけ楽しそうに周囲に話していたとしても、私は疑ってかかるべきだと思うんです。もしかしたらすでに依存症になっていて、辞めたいのに辞めれない状態、なおかつ周囲には秘密にしている可能性も高いとすら思うんです。

 

もし大切な人がギャンブルばかりしている人であるならば、呆れる気持ちを抑え、そして疑い、じっくりお話してみることがおススメです。私はだれ一人、私がギャンブルをしていることを公言していませんでしたが、誰かの言葉一つで何かが変わっていたかも、と思う事があるのです。

 

twitter始めました

なるべくネガティブな事は呟きません。たぶん。。

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ギャンブル依存についての勉強をしよう。(Twitter始めました)

紹介状を書いて頂いた病院の診察まで、まだ後一か月弱・・・。

もうかれこれ最後に病院に行ってからひと月以上経っています。

どうなるのか・・・期待半分、不安半分といったところです。

 

さて、受診までの期間を使って、

もう少しギャンブル依存について勉強をしてみる事にします。

私が苦しんでいるギャンブルについて、もっと知るべきだと感じました。

そして、このブログでアウトプットしていこうと思っています。

 

基本的に自分自身のために綴っているブログですが、

依存症の方、または依存症の家族の方へ、少しでも役立つものになれば、という思いもあります。

 

そんでもって、最近Twitterも始めました。

Twitterってネガティブな事を呟きがちですね・・・。気を付けます。

 

そんなわけで、フォローして頂けると幸いです。 

 

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私がギャンブルにハマってしまったキッカケを書きます。

今日は、いつ頃から私はギャンブルの虜になってしまったのだろうとふと考えてみました。思えば大学時代、友人とパチンコに行ったことがギャンブル体験のスタートでした。ありがちです。そのころ、パチンコなんてあほらしいと思っていたので、1円パチンコで付き合い程度に、というやり方だったと思います。

(1円パチンコというのは、基本レートの約1/4程度の資金で楽しめるライトパチンコです。勝っても1/4、負けても1/4です。パチンコ店のメインレートは4円パチンコです。)

同時に、大学生時代には競馬をするようになっていました。当時、私が住んでいるところから競馬場が近く、一つの楽しみとしてよく行っていたような気がします。ただ、たまの週末にたしなむ感じで、一度に1万円くらいまでの損失でセーブしていました。私のバイト代で、十分に賄える程度で楽しめていました。

そんなギャンブル人生でしたが、私にとっての転機が訪れました。それは、大学を卒業後から入社式までの休みに入った時でした。地元に長期間帰省する事なったのですが、あまりにもやる事がなく、地元の友人とパチンコ店に出入りするようになったのです。今思っても不思議なのですが、行けば必ず勝てていたのです。それも万単位で、、。シンプルに簡単に勝てました。トータルすれば、この期間だけで数十万勝ったと記憶しています。

こうして味を覚えた私は、入社してからというものの、毎週末のようにパチンコ店に出入りするようになっていきました。入社して少し落ち着いてきたときには、今度は平日の夜からでも平気で出入りするようになりました。そんな生活でお金が回るはずもなく、初めて借金するまでは、社会人になってから2年も経っていなかったように思います。

 

・・・というわけで私がギャンブルに虜になったキッカケは、大学卒業~入社前に体験したバカみたいに勝てたことです。行けば行くだけ大金を手にしていた記憶があって、今考えても不思議です。そんな事、後にも先にもないのですけどね。

そして、ギャンブル行動をさらに加速させたのが借金を背負った事でした。

借金をしてからは、もう歯止めが効かなくなったように感じます。パチンコと競馬を交互に繰り返すような生活で、完全に自分の中でタガが外れてしまっていていたのです。金銭感覚などありません。したがって、借金が膨らむスピードは、すさまじいモノがありました。自分で苦労せず手にしたお金って、こんなに簡単に消えるのかと思うくらいに、とにかく限度額いっぱいになるスピードは速かったです。

借金さえしなければ・・・と今でも考えてしまう事があります。

きっかけ一つだったように思うんです。会社の先輩から情報を教えてもらった事もそうです。それで、融資を受けるために無人機に行く事自体、なかなか勇気を振り絞りました。いざ借りるとなった時には罪悪感もめちゃくちゃありました。

どこかのタイミングで、なぜストップ出来なかったのだろうと悔やんでしまうんです。もしかすれば、借金などしなかった可能性すら有ると思うのです。もっと友達に相談すれば良かった、とも思います。

こんな私を反面教師にして頂きたいですが、昨今のアプリで簡単に借金が出来る世の中は、どう考えたってオカシイです。CMや広告がフランクに出てくる、本当におかしな世の中です。もし借金をするかしないか瀬戸際の方がいらっしゃるのでしたら、絶対に辞めてください。ギャンブルによる借金は、ギャンブル行動に歯止めが効かなくなる第一歩となるでしょう。

 

というわけで私の場合、

大勝ちの経験によりギャンブルにハマってしまい、借金がそれを加速させてしまったのだろうと思います。

良い言葉を書いてみる。

自分の自由の芽を日々伸ばす努力をしていると、少しずつ自由が広がっていく。逆にそうしないと、自由の範囲がだんだんと狭まっていき、自分の人生を主体的に生きるのではなく、「生かされているだけ」の人生になる。

 

私の好きな本に書いてある一説ですが、とても心に響きます。この本の影響で、私は私の人生を「ギャンブルに生かされている人生」とよく考えるようになりました。現状を考えると、実際にその通りだと思わざるを得ません。

ギャンブルは、基本的に自分がコントロールできない性質を持っていると思います。運だとか目に見えない力だとか、なにせそういった類のものが必要です。そして、自分自身がコント―ル出来ないモノだからこそ、人によっては虜になってしまうのだと思います。よく出来ています。

ギャンブルに対して人が出来る事は、基本的にありません。ただのマシーンです。また、当たらなくてイライラする、店員に逆恨みする、大当たりしている人を妬む。これもまた、自分がギャンブルにコントロールされている状態です。振り返ってみた時、そんな自分の事は嫌いになって当たり前だと思うのです。

ギャンブルに生かされる人生・・・私のような依存症はこうした人生を歩んできたのです。そんなものは誰がどう考えても嫌ですし、断たなければならないのは明白です。世の中、何か大切なものが至るところに転がっています。ギャンブルに熱中していれば決して気付く事の出来ない大切なものを発見し、そして大事にする。いやな事から逃げない。どんなに小さなことでも日々決意して、約束してそれを守る力があれば、人生は必ず好転すると信じて、今日も今日とて生きています。

人間らしく生きる。

ギャンブル依存症にとって、一番の大きな問題は経済的な問題かと思います。依存症に陥ってしまうと、資金の制約を超えてギャンブルをします。その結果として、周辺にいる人や社会に対して迷惑を掛けることになるでしょう。自走していく事がままならなくなってしまうのです。

ところが迷惑を掛けながらでも生きていける、それが今の日本の社会です。頼れる家族や知り合いが身近にいる可能性が高いのも、平和な日本の社会だからこそです。それに、ライフラインもそんなに簡単には止まらない仕組みになっています。(これに対する副作用は、ギャンブル依存症がなかなか表面化しづらい、かつしかるべき治療を行える機関が少ないという事ではないでしょうか)

反面、周りの人へ迷惑をかける行為は、依存症の当人からしても苦しい事です。開き直っている人は少ないと思いますし、痛みを伴いながらも、それでもギャンブルを辞めれないのです。

さらに、こうした資金の援助はただの延命に過ぎません。本人はおろか周囲までも次第に疲弊していき、いつか破綻してしまうのです。

 

こうして、依存症が進行すると経済的に疲弊していき人間関係も崩壊、そんな結末を迎えるでしょう。

さらに苦しい事に、こうした結末の過程の中において「人間らしく生きれない」日々を送る事になってしまうのが依存症です。当人が自覚しているか無自覚なのかはさておき、人間らしく生きることが出来ない・・・これはとにかくつらい事だと思います。

 

こんな状態(人間)になってしまうのです。具体的に書いてみます。

とにかく、ギャンブル以外の事に興味が薄れてしまいます。天気が良ければ気分が良くなって、何かやりたい意欲が湧いてくるのが人間でしょう。でも、目の前にギャンブルが転がっていれば、ギャンブル行動が優先されてしまうのです。

あるいは、他人に対しての興味が薄れてきます。興味がないといえども、ギャンブルから離れている時、自分の周りの人について考える時間が必ずあると思うんです。あの人は面白いな、とか、良い人だな、今度飲みにでも行きたいな、遊んでみたいな、あるいは、あいつは嫌いだ、苦手だ、今後どういう付き合いをしていこうか、と頭を悩ますこともあるでしょう。こうした人間関係を考える作業は、生きていく上でとても大事なことだと思います。

ところがギャンブルに毒されていると、そうしたこと全てがどうでも良くなってしまうのです。大事にしようと思っている人がいても、ギャンブルが目の前に転がっていればギャンブルに熱中してしまうのです。あるいは嫌いな人や苦手な人のことを考える時間を作ったり、どう対応しようかと対策を練ったりすることも必要でしょう。こうした場合も、ギャンブルに逃げれば気持ちはスッキリするし、もうそんな嫌な人の事はどうでも良くなってしまうのです。こうした行動は、孤立という結果を生むのではないでしょうか。そしてこのような状態で、果たして人間らしく社会生活を送っていけるのでしょうか。私は確実に人間らしく生きていけないと思うんです。

こうしてギャンブル依存症が進行する過程においては、人間らしく生きていくことがままらないと思うのです。ギャンブル中心の生活をしていた自分を振り返ると、自分で自分を人間だとは思えないのです。

 

というわけで、ギャンブル依存は経済的な疲弊、人間関係の悪化を生むことは間違いありませんが、さらに、日々人間らしく生きることがままならない・・・。

目下、これが一番苦しい事だと感じるのです。「ギャンブルに生かされている」という表現がしっくりきます。もし当人が無自覚の場合は、修正もかけられません。こんなにも悲しい話はありません。

 

今の私はというと、「いったりきたり」しています。つまり、ギャンブルから離れられている時は、人間らしく生きていけています。でも、ひとたびギャンブルに熱中してしまうとまた元通りで、人間らしく生きれない日々が続いてしまうのです。

 

対策は考えました。

自分の半径1m以内の人間を大事にする、家族でもいい、親友でもいい。天気を感じる。心地よくなっている自分に気付いてあげる。そしてその感覚を大事にする。季節を感じる。誰かを誘って美味しいものを食べてみる。子供と触れ合う、老人と触れ合う。当たり前の事ですが、幸せなことだとつくづく感じます。

 

何かすれば変わるだろうというよりも、足元をきちっと見て、人間らしく生きることが大事と考えて記事にしてみました。

お読みいただきありがとうございました。

あくまで前向きに!

ここ最近、病院の事や考えている事についてブログで綴っていますが、読み返していくとなんだかネガティブに映ってしまいますね。どうしても、自身のギャンブル依存というテーマを冷静に振り返る場所としているので、そういうことを書いてしまったり、あるいはそう見えてしまうのは致し方ないかもしれません。

でも、当たり前ですが、仕事をしてごはんを食べてお風呂に入って寝る、日常生活は普通に送っています。だから、気持ちはあくまで前向きに、これが大事な事です。

どれだけギャンブルがしたくても、日常生活は普通にやってきます。最近天気が良いです。青空を見ながら、グッと息を飲んで一日が始まる。一番自然体で心地が良いです。日中、適度に汗を書くと気持ちがすっきりします。

手持ちのお金が無いギャンブルに縛られていない時は、こうした人間らしい感覚が生まれてきます。単純に気分が良いからこういう事を書けるのですが、これも大事にしようって思います。将来の不安なんて吹き飛んでいようにも思います。とにかく今を一歩一歩、気持ちはあくまで前向きに、ですね。何事も、姿勢が大事です。