30代、ギャンブル依存症が書くブログ

20代で多くのものを失った。30代では全てを失う気がする。

ちょっと待て、自分。考え直し。

「ギャンブルをしたいと思ってしていたわけではない」

 

私の場合、ギャンブルは結果的に負ける事が頭の中で分かっていて、それでも「今日くらいは勝てるだろう」とか、あるいは「負ける可能性が高いし行きたくもないけれど、この資金を増やさねばどうしようもないから」とか、そうした動機付けをもってギャンブル行動をしていました。

これについて私は、「特にここ数年は、ギャンブルをしたいと思ってしていたわけではないです」とブログでもさんざん書いてきましたし、医師の方にもそう説明してきました。決して嘘を書いたつもりはありませんが、「したいと思ってしていたわけでじゃない」というのは、単なる言い訳をしていたかも、とふと考え付きました。つまり、「ギャンブルが出来る」という事に対して、やはり一定以上の「楽しみ」や「快楽」を感じていたと思います。こうした感情とギャンブルをしたくないというネガティブな感情との折り合いを、上手く付けれなかったのだと思います。結果的にギャンブルをしていました。

 

つまり、ギャンブルは私にとって100%の悪であることから、「ギャンブルなんてしたかったわけじゃない」と言い訳をして、自分の中にあるギャンブルをしたかった欲求をきちんと認めらていなかったのかもしれません。両親・ブログ・病院などのギャンブルと対立した位置にいる時の私と、ギャンブルを目の前にした時の私では、まるで考えや感情が変わっているのだと思います。もう少し、ギャンブルをする直前の自分やギャンブルをしている最中の自分を、きちんと振り返ってみる必要があるのだと思います。私のようにギャンブルを悪だと決めつけてしまうと、自分のギャンブル行動に対しての自己分析が正常に出来ないのでしょう・・・。

 

そして私はこうして記事を書いているうちに、自分のギャンブル行動を自己責任だと感じつつも、私自身がギャンブルに責任転嫁している部分が、少なからずある気がしてきました。これは良いことか悪いことかで言えば、確実に悪いことだと思います。それに私は、パチンコが依存症ビジネスだとか、いかに日本のギャンブルがヤバいかだとか、そうしたことをよく考えています。でも、それらを私の私的な感情と結び付けてしまうと、周りへの注意喚起にはなるかもしれないけれども、私個人的な解決にはならないのかもしれない、とも思えてきました。でも、私の思いや考えをぶつけたい気持ちもありますし。

 

結論。

ギャンブルから離れているとき、ギャンブルに対して憎悪がマックスに達しているわけですが、こうした感情との向き合い方がキーになる気がしています。

 

うーん、難しいです。でも一歩一歩、頑張るしかありません。